namaesagashiの日記

名無しのわけではないけれど、自分の言葉を素直に書けたらとは思ってる。

酷い夢を見たという話

蚊に刺されて穴が開く夢が結構怖かったから書いておく。

夢の中でふくらはぎを2か所刺されて(というか噛まれていて)両方とも骨が見えていた。その癖結構大きな穴から血が出ていなくて肉の中が見えていたのがめちゃくちゃ怖かったのは覚えている。痛みがあったかどうかは覚えていないが奇妙で気持ち悪い酷い夢だった。

とはいえカもハエと同じ双翅目なのでありうる話なのか……?とは思った。

ハエに肉食のがいるというのを「ハエたちの隠された生活」を読んだからか、カに穴を空けれるようなのはいないと思うが、夢にでたのだろうなーと思う。

 

雪虫みたよーな報告と、走行距離によって払う税金が変わるかもなんだってね、ということ

久しぶりに記事を書こうと思う。忙しさにかまけてさすがにほったらかしにしてたので。

と言っても題名のままで、雪虫を見たという報告(しかも1週間程前!)と、昨日のニュースで自動車の税金に走行距離という要素(という言い方でいいのか?)が増えると言うことだ。

 

雪虫と言って分かる人はどのくらいいるか分からないのだが、庭先などの外で白や青っぽいふわふわした虫、と言えば分かってもらえると思う(少なくとも自分も家族も雪虫を2,3年前まで知らなかった)。一見愛らしいあいつは実は植物にいてるアブラムシらしく、「白腺物質を分泌する腺が存在するものの通称」が雪虫らしい(Wikipedia参照)。

で、それを通学に使ってる駅で今年初めて見た。自分にとってはこいつを見たら冬なんだなーという気になる可愛い奴は熱に弱いとかであんまり手に乗せるのは気が引けるが今度はじっくり見たいなと思う。

 

次。

自動車の税金について。まずこれについて2つの文句が個人的にあるので書きたい。

まず1つ目、税金を作る理由について。二酸化炭素の排出量が走行距離が長い人の方が多いからその分税金を上げるべき、というならまだ納得できた。それが、EV車やカーシェアなどで税収が下がるからという理由で新しい税を作るというのがなんだかなーという気がする。

次に2つ目、みんながみんな駅の近くに住んでるわけじゃないんだぞ!と言いたい。当方いつも使うJRの駅までバスで大体1時間かかっており、私鉄の方でもバスで30分は優にかかっている。はっきり言ってめちゃくちゃ車が欲しいぃぃぃいい!!車があれば通うのにかかる時間が約4分の1になり、家族に送ってもらう時など自分の通学時間と比べた時の無常感がすごい。駅の近くに住んでいる人であれば、駅に行くまでの時間があまりかからないから朝や雨の日などほんと羨ましい。そういうこともあり割と本気で車が欲しいのだが、そうなるとほぼ毎日車に乗ることになり、必然的に走行距離も長くなるのでハードルがぐっと上がることになってしまう。もちろんCO2の排出を抑制するという点では良いことなのだと思う。ただ!ほんとにどこもが交通アクセスが便利なわけじゃないし、車が必需品な地域だって多い。そういう税がこれから出来るのだとしたらそういうことも考えて欲しいなと切に思う。

 

 

 

雪虫みたよーな報告と、走行距離によって払う税金が変わるかもなんだってね、ということ

久しぶりに記事を書こうと思う。忙しさにかまけてさすがにほったらかしにしてたので。

と言っても題名のままで、雪虫を見たという報告(しかも1週間程前!)と、昨日のニュースで自動車の税金に走行距離という要素(という言い方でいいのか?)が増えると言うことだ。

 

雪虫と言って分かる人はどのくらいいるか分からないのだが、庭先などの外で白や青っぽいふわふわした虫、と言えば分かってもらえると思う(少なくとも自分も家族も雪虫を2,3年前まで知らなかった)。一見愛らしいあいつは実は植物にいてるアブラムシらしく、「白腺物質を分泌する腺が存在するものの通称」が雪虫らしい(Wikipedia参照)。

で、それを通学に使ってる駅で今年初めて見た。自分にとってはこいつを見たら冬なんだなーという気になる可愛い奴は熱に弱いとかであんまり手に乗せるのは気が引けるが今度はじっくり見たいなと思う。

 

次。

自動車の税金について。まずこれについて2つの文句が個人的にあるので書きたい。

まず1つ目、税金を作る理由について。二酸化炭素の排出量が走行距離が長い人の方が多いからその分税金を上げるべき、というならまだ納得できた。それが、EV車やカーシェアなどで税収が下がるからという理由で新しい税を作るというのがなんだかなーという気がする。

次に2つ目、みんながみんな駅の近くに住んでるわけじゃないんだぞ!と言いたい。当方いつも使うJRの駅までバスで大体1時間かかっており、私鉄の方でもバスで30分は優にかかっている。はっきり言ってめちゃくちゃ車が欲しいぃぃぃいい!!車があれば通うのにかかる時間が約4分の1になり、家族に送ってもらう時など自分の通学時間と比べた時の無常感がすごい。駅の近くに住んでいる人であれば、駅に行くまでの時間があまりかからないから朝や雨の日などほんと羨ましい。そういうこともあり割と本気で車が欲しいのだが、そうなるとほぼ毎日車に乗ることになり、必然的に走行距離も長くなるのでハードルがぐっと上がることになってしまう。もちろんCO2の排出を抑制するという点では良いことなのだと思う。ただ!ほんとにどこもが交通アクセスが便利なわけじゃないし、車が必需品な地域だって多い。そういう税がこれから出来るのだとしたらそういうことも考えて欲しいなと切に思う。

 

 

 

映画するんだって!と人間のせいなんだよなあということ

偶然ツイッターで「十二人の死にたい子どもたち」が映画化することを知ってテンションが上がってるので記事を書き書き。

実は途中までしか読めてなかったけど情景描写がすごく好きなのでうれしい。ちょいちょい挟まれる小物の存在とか自分以外の誰かの存在があることを示していてすごく読んでいて引き込まれる。また続き読もうかなーと思った。

 

と、テンションが上がってるところにマッコウクジラの体内から6キロのプラスチックごみが出てきたニュースが聞こえたので、そちらについても書き書き。

世界中で問題になっていることで、こんな風にニュースになったのを聞いてショックを受けたり、考える人が出てくるといいなと思う。もちろん自分自身コンビニで2個以上食べ物買う時コンビニの袋を断れない時があるので、それは変えないといけないと思うが(ただ言わせてもらえると駅のロータリーにゴミ箱がないのも大きい。もちろん溢れて道が汚れるのを防ぐためであろうが)。

海流の関係で鳥取砂丘に大量のプラスチックごみが集まってるのも前から結構言われてたりするし、プラスチックごみが小さくなって魚や鳥、他の海洋生物に取り込まれているということも言われてるはず。「生物濃縮」ってことを考えたら、結局自分自身のことになるのだから全く他人ごとではないはずなのに割と世間は無頓着というか、無関心な気がしている。マイクロプラスチックが原因の環境ホルモンの撹乱だってググればすぐに様々な情報を知ることも出来るのに!プラスチックごみにとどまらず、持って帰られなかった釣り糸が野鳥の脚に絡まったり、誤飲することで死んでしまう野鳥だってずっと前からいる。そのことを気にしてるヒトってどれだけいるんだろうか。

もっと影響を考えると「ポイ捨てダメ絶対!」とならないといけないんじゃないかと思う。

……こういうことを考えると、「じゃあ自分は何が出来るのか」と考えて、結局「何も出来ない……」となってしまう自分がいることを自覚しているので、ボランティアなり参加していけたら、というかしたい、と思う。

どきどき☆いぶんかこみゅにけーしょん

出川哲朗の充電させてもらえませんかという番組を今日初めて見た。それを見て思ったことを書こうと思う。

 

あまり出川が好きではなかったから見たことなかったのだが、見たら出川への印象がすごく良くなった。

というのも彼の異文化コミュニケーション能力がすごすぎるということがある。多分通訳者もいない状態で、かつ、ちゃんとしたとは言えないような語学力で知らない人に(それもフレンドリーに!)突撃できるところが真似できないと思った。

自分も一度電車の中で外国人に英語で聞かれたことがあるがヒアリングが苦手なために「Sorry,I can't speak English」で誤魔化してしまった。その時点で自分でも冷たいなと思ったし、せめて「I'm not good at hearing English. But I caan speak English little」と(文法があっているかは置いておいて)言うことだって出来た。知らない国に来て冷たくあしらわれたら自分でもつらい。いくら英語を少し知っていようと伝わるかとかあっているかとか、そういうことに自信がないというのが一番自分の中では大きい。それでも何か出来たのではないかと思う。

 

そういったことがあっただけに彼のコミュニケーション能力はすごいな!と思った。単語をつなげただけであったり、ちょっと変だなというような英語でもなんとか通じているのもそうだが、全く知らない通りすがりの人に声をかけれて関わっていくその行動力がすごい。あれを見たらちゃんとした英語をはなさないといけないと思うけども、自分に足りないのは何よりも勇気だなーと思えた。

7年8か月ということ

東日本大震災から今日で7年8か月になるということをNHKのニュースでしていたのを見て思ったことを書こうと思う。

ニュースでは震災時に残った建物を震災遺構として残すものから、つらい記憶を蘇らせるものとして取り壊すものもあるということ、それから今日取り壊す建物とそれにまつわる人の話を流していた。

 

ここから自分の反省と懺悔のために自分の覚えている記憶を書いておこうと思う。

震災から7年以上が経っていることが長いような短いような気がするし、信じられないような気もしている。震災当時自分はまだ10代前半で、実家でもほとんど被害がない地域だったせいでかそんな大きな地震があったということが信じられないかったし、遠い出来事のように感じていた。ただ11日の夕方、家に帰ってからソフトバンクでもらったラーメンを地震の映像を流すテレビ画面を見ながら食べていたのを覚えている。

だからといって全く関係なかったかと言えばそうでもなく、母の東京在住の友人は断水等で困っているということで母が2lくらいのペットボトルの水をいくつも買って送っていた。

それからのことをほとんど覚えていない当たり薄情だなと思う。他にあると言えば2年くらい経った時、阪神大震災の時は2,3年で復興するに至ったというような内容のニュースが流れていて「福島とかどのくらいかかるんだろう」と思ったことと、人が集まるような商店街のようなものが出来た(名前は忘れてしまったけれども)こと、防災の建物や新しい市役所が入った建物が出来たというような断片ばかりが残っている。

 

興味がなかったと言ってしまえばそれまでなのだろうが、それで済ましていいことでもなかったと今でも思っている。何もできなくても無関心でいたことは恥だとも罪だとも思う。せめてその痛みなり苦しみなりを及ばなくても考えるべきだったと思っている。

 

そうして今日で7年と8か月経ったわけだが、震災で残った建物が取り壊されると聞いて「何があったのか、実際にどうなってしまったかも知らないままこういったものが無くなるなら、そうなる前に知りに行きたい」と思った。実際に行って見ることがテレビで見ることとどのくらい違うのかも分からないからこそ行きたいと思うし、7年以上が経って当時の面影がなくなっていたとしても”当時”ではないから知らないままでいいということとではないとも思う。

知ろうと思わなかったし、知ろうとしなかった。でももしまだ間に合うのなら、全てが過去になってしまう前に知りたいと思う。それは自分の無知さや形ばかりであったことを責めてくるだろうけどもそれでもそれは必要なことなんだとも思う。

 

色々と考えることを形にしたくて

まず「どうしてブログを開くに至ったのか」を述べるのが自分のためにもいいのかもしれないと思うので、それについて覚書程度にでも書こうと思う。

 

まず名前について。これは辻村深月さんの『名前探しの放課後』から頂いた。特に深い理由はなく、最近自分の名前が自分の意識とは遠いところにあって自分の名前ではないような気がするから。後はこじつけ気味に、考えていること・感じてることを言葉にしようとすると自分の場合かっこつけ的な風な、言葉を装飾する感じになるから、ということもある。できる限り自分の感情に近い言葉を綴りたい。

 

次に開設の経緯について。と言っても題名にある通り、いろいろと考えてることを忘れないように、忘れてしまわないように、(誰かに伝えられたらという願望も込みで)何らかの形で残しておこうと思ったからというのが大体の理由だ。

最近久しぶりに小説やら色々読んで胸が本のことでいっぱいになったので、読んで感じたことや考えたことを主にブログでは記していこうと思う。 

 

追記:2018/11/10辻村さんの名前を間違えていたため慌てて編集。失礼しました。