namaesagashiの日記

名無しのわけではないけれど、自分の言葉を素直に書けたらとは思ってる。

7年8か月ということ

東日本大震災から今日で7年8か月になるということをNHKのニュースでしていたのを見て思ったことを書こうと思う。

ニュースでは震災時に残った建物を震災遺構として残すものから、つらい記憶を蘇らせるものとして取り壊すものもあるということ、それから今日取り壊す建物とそれにまつわる人の話を流していた。

 

ここから自分の反省と懺悔のために自分の覚えている記憶を書いておこうと思う。

震災から7年以上が経っていることが長いような短いような気がするし、信じられないような気もしている。震災当時自分はまだ10代前半で、実家でもほとんど被害がない地域だったせいでかそんな大きな地震があったということが信じられないかったし、遠い出来事のように感じていた。ただ11日の夕方、家に帰ってからソフトバンクでもらったラーメンを地震の映像を流すテレビ画面を見ながら食べていたのを覚えている。

だからといって全く関係なかったかと言えばそうでもなく、母の東京在住の友人は断水等で困っているということで母が2lくらいのペットボトルの水をいくつも買って送っていた。

それからのことをほとんど覚えていない当たり薄情だなと思う。他にあると言えば2年くらい経った時、阪神大震災の時は2,3年で復興するに至ったというような内容のニュースが流れていて「福島とかどのくらいかかるんだろう」と思ったことと、人が集まるような商店街のようなものが出来た(名前は忘れてしまったけれども)こと、防災の建物や新しい市役所が入った建物が出来たというような断片ばかりが残っている。

 

興味がなかったと言ってしまえばそれまでなのだろうが、それで済ましていいことでもなかったと今でも思っている。何もできなくても無関心でいたことは恥だとも罪だとも思う。せめてその痛みなり苦しみなりを及ばなくても考えるべきだったと思っている。

 

そうして今日で7年と8か月経ったわけだが、震災で残った建物が取り壊されると聞いて「何があったのか、実際にどうなってしまったかも知らないままこういったものが無くなるなら、そうなる前に知りに行きたい」と思った。実際に行って見ることがテレビで見ることとどのくらい違うのかも分からないからこそ行きたいと思うし、7年以上が経って当時の面影がなくなっていたとしても”当時”ではないから知らないままでいいということとではないとも思う。

知ろうと思わなかったし、知ろうとしなかった。でももしまだ間に合うのなら、全てが過去になってしまう前に知りたいと思う。それは自分の無知さや形ばかりであったことを責めてくるだろうけどもそれでもそれは必要なことなんだとも思う。